御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
唱題行(一月二日)の砌 令和四年一月二日 於 総本山客殿

 立宗七百七十年の新春、あけましておめでとうございます。
 皆様には、すがすがしく新年を迎えられ、決意も新たに、いよいよの精進をお誓いのことと存じます。
 さて、本年、宗門は「報恩躍進の年」と定め、文字通り、我ら一同、仏祖三宝尊への御報恩謝徳のもと、僧俗一致・異体同心して折伏を行じ、一天広布へ向けて大きく躍進すべき、まことに大事な年を迎えました。
 大聖人は『聖愚問答抄』に、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれと書けり。今の世を見るに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛する国か勘ふべし。」(御書 四〇三n)
と仰せであります。
 この御文については、皆様も既によく御存じのことと思いますが、まさしく今日の如き、濁世末法の姿そのままに邪義邪宗が跋扈し、新型コロナウイルス感染症が蔓延して、世の中が騒然としている時、かくなる時こそ、私どもは『立正安国論』の原理に従って、末法の一切衆生救済の秘法たる本因下種の仏法を一人でも多くの人々に伝え、折伏をしていかなければなりません。
 そもそも、折伏は仏様から与えられた尊い使命であります。
 されば『聖意問答抄』には、
「時に正像末あり、法に大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失なり。然るに今世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ誉れを擅にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし。」(同四〇二n)
と仰せであります。
 この御文は皆様も常々拝聴して、よく知っているところの御教示でありましょうが、私どもはこの御文を拝し、また記念局の本年度のポスターに記載されている「今こそ 折伏の時」との標語を見て、コロナ感染症の蔓延によって世の中が騒然としている今こそ、講中挙げて全力で破邪顕正の折伏を行じ、謗法の害毒によって苦しんでいる多くの人々に対して、広大無辺なる御本尊様の功徳を説き、救っていくことが最も肝要であります。
 各位にはこのことを銘記され、講中の同志の方々と共に折伏に立ち上がり、本年「報恩躍進の年」を悔いなく戦いきり、仏祖三宝尊へ御報恩申し上げられますよう心からお祈りし、はなはだ粗略ながら、一言もって本日の挨拶といたします。