御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
5月度 広布唱題会の砌
                         (令和3年5月2日 於 総本山客殿)

 本日は、五月度の広布唱題会に当たり、皆様には諸事万端御繁忙のところ、わざわざ出席され、まことに御苦労さまです。
 さて今日、新型コロナウイルス感染症によって、日本をはじめ世界中が騒然とした状況を呈しております。しかし、かくなる時こそ、私どもは世の中の平和と人々の幸せのため『立正安国論』の原理に従って、一致団結・異体同心して折伏を行じ、妙法流布に邁進していかなければならないと思います。
 大聖人様は『如説修行抄』に、
「末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり。敵有る時は刀杖弓箭を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門理』と、良に故あるかな。然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して益を求むる者にあらずや。鶏の暁に鳴くは用なり、よいに鳴くは物怪なり。権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。」(御書 六七二n)と仰せであります。
 この御文は、皆様方も折に触れ、聴聞されていることと思いますが、まさしく末法今時において、いかに折伏を行ずることが大事であるかをお示しあそばされており、特に今日、新型コロナ感染症によって、世界中が厳然たる状況を呈している時、私どもは改めてこの御金言を拝し、一人ひとりが決然として折伏に立ち上がり、一人でも多くの人々の幸せと真の世界平和の実現を願い、妙法広布に挺身していくことこそ、今、最も大事なことであると思います。
 大聖人様は『立正安国論』のなかで、
「嗟呼悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな愚侶迷惑の麁語に随ふこと。早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(同 二四七n)
と仰せられ、謗法の害毒によって苦悩に喘ぐ多くの人々を救済し、安穏なる仏国土を実現するため、老若男女を問わず折伏に立ち上がり、断固たる決意を持って勇猛果敢に折伏を行じていくことが最も肝要であると御教示あそばされております。
 さらに『法華初心成仏抄』には、
「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起つが如し。地獄には堕つれども、疾く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり。」(同一三一六n)
と仰せでありま
 御文中の「毒鼓の縁」とは、皆様も既に御承知のことと思いますが、涅槃経に出てくる話で「毒薬を塗った太鼓をたたくと、その音を聞こうとしない者の耳にも届き、やがて聞いた者は皆、死ぬ」と言われており、たとえ妙法を聞こうとする心はなくとも、妙法を耳にすることによって正法と縁し、発心・修行することによって成仏することができると仰せられているのであります。
 つまり、末法今時では順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であったとしても、正法に縁することによって、将来、必ず救済することができると仰せられているのであります。
 されば、私どもは改めて「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」との仰せを心肝に染め、邪義邪宗の害毒によって不幸に喘ぐ多くの人々を救うべく、いよいよ講中一結・異体同心して折伏を行じ、新型コロナ感染症による今日の窮状を打開し、もっていよいよ正法流布に邁進されますよう心から願い、本日の挨拶といたします。