御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
四月度 広布唱題会の砌
                         (令和3年4月4日 於 総本山客殿)

 本日は、四月度の広布唱題会に当たり、皆様には深信の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 さて、既に皆様も御承知の通り、昨今の国内外の状況を見ますと、新型コロナウイルス感染症によって、国内のみならず世界的に混沌とした様相を呈しており、この先の不安を感じている方々も少なくないと思います。
 しかし我々は、こうした混迷する現状を見て、改めて『立正安国論』の御聖意を拝し、この窮状を根本的に救えるのは、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の三大秘法の仏法以外にはないことをよくよく知るべきであります。
 大聖人様は『立正安国論』に、世の中が混乱する原因について、
「倩微管を傾け聊経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。」(御書 二三四n)
と仰せられています。
 すなわち、世の中の混乱と不幸と苦悩の原因は、ひとえに「世皆正に背き人悉く悪に帰す」故であると仰せでありますが、その「正」とは三箇の秘法、つまり本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇の三大秘法の正法を指し、「悪」とは邪義邪宗の謗法を指すのであります。
 したがって、この邪義邪宗の謗法を断ち、すなわち不幸と混乱の根源である謗法を対治しなければ、一人ひとりの幸せはもとより、国土の安穏も、世界の平和も実親することができないのであります。
 故に『立正安国論』には、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(同二四七n)
と仰せられているのであります。
 さらに『法華初心成仏抄』には、
「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(同一三一六n)
と仰せであります。
 「毒鼓の縁」とは、既に皆様もよく御承知のように毒を塗った太鼓のことで、この太鼓を打つと、その音を聞いた者すべてが死ぬという話であります。すなわち、謗法の衆生に法華経を説き聞かせることは、法華経に縁することになり、成仏の因となることで、逆縁とも言います。つまり、一切衆生には皆、仏性が具わっており、正しい法を聞き、発心・修行することによって成仏することができるのでありますが、末法今時では順縁の衆生はもとより逆縁の衆生であっても、三大秘法の南無妙法蓮華経を聞かせることによって正法と縁を結ばせ、将来、必ず救済することができるわけであります。
 されば『聖愚問答抄』には、
「人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれ。」(同四〇三n)
と仰せられ、また『如説修行抄』には、
「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。」(同 六七三n)
と仰せられているのであります。
 これらの御文を拝する時、コロナ感染症によって世の中が騒然としている今こそ、私どもは異体同心して、決然として破邪顕正の折伏を行じていかなければなりません。
『一念三千法門』には、
「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も癒えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつへ、懐に薬を持ちても飲まん事を知らずして死するが如し」(同一一〇n)
と仰せであります。
 されば私どもは今こそ、一人ひとりが『立正安国論』の御聖意を拝し、講中一結・異体同心して、決然として破邪顕正の折伏に立ち上がり、前進していかなければなりません。 どうぞ皆様には、それぞれが自行化他の信心に励み、もって一天広布を目指し、いよいよ御精進されますよう心から願い、本日の挨拶といたします。