御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
百日間唱題行満了の砌
(令和2年12月15日 於総本山客殿)

 本年九月七日から始めた百日間唱題行も、本日をもって終了いたします。
 この百日間、皆様方にはお忙しいなか、時間を割いて多くの方々が唱題行に参加され、まことに御苦労さまでございました。
 この百日間唱題行は、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の達成を期して、総本山をはじめ全国の寺院および各家庭において行われたものでありますが、皆様の強盛なる信心と熱意によって、本日、めでたく終了することができまして、心から喜びに堪えません。
 皆様がこの百日間の唱題行に励まれた功徳は、まことに計り知れないものがあり、これからの広布の戦いにおいて必ずや、その功徳の姿が現れてくるものと確信いたします。
 さて、大聖人様は『法華初心成仏抄』に、
 「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起つが如し。地獄には堕つれども、疾く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり。」 (御書一三一六n)
と仰せであります。
 この御文中「毒鼓」とは、皆様もよく御存じの通り、毒薬を塗った太鼓のことであります。涅槃経のなかに「毒薬を太鼓に塗り、大衆のなかにおいてこれを打つと、聞こうとする心がなくとも、その音を聞く者すべてが死ぬ」とあり、法を聞こうとせず、あるいは信じようともせず反対したとしても、やがて煩悩を断じて得道できることを、毒を塗った太鼓、つまり毒鼓を打つことに譬えているのであります。
 すなわち、一切衆生には皆、仏性が具わっており、正しい法を聞き、発心・修行することによって成仏できることを明かされているのであります。つまり、末法今時では順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であっても、文底下種の妙法を聞かせることによって、正法と縁を結ばせ、将来、必ず救済することができると仰せられているのであります。
 今、宗門は僧俗一致の体勢をもって、いよいよ明年に迫った宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向けて力強く前進しております。
 この時に当たり、私ども一同、地涌の菩薩の眷属たる自覚と誇りを持って、異体同心・一致団結して「毒鼓の縁」を手本に敢然として折伏を行じ、誓願達成へ向けて前進していくことが、最も肝要であります。
 本年も残りわずかとなりましたが、時間を割いて誓願達成へ向けて折伏に励み、もって自他共の幸せを必ず築かれますよう心からお祈りし、本日の挨拶といたします。