御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
百日間唱題行の砌
(令和2年9月7日 於総本山客殿)

 皆様方には既に御承知の通り、今回、本日より十二月十五日までの百日間、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝、法華講員八十万人体勢構築の誓願達成を目指して、宗内全寺院および全家庭において、一斉に百日間唱題行を実施することになりました。
 これは、宗内の全僧俗が一日二時間の唱題行を百日間行い、その功徳と歓喜をもって、今、世界に蔓延しているコロナ禍や異常気象による災害など、眼前に立ち塞がる様々な難事・難局を乗り越え、折伏の大前進を図るためであります。
 したがって、そのためには唱題が唱題のみに終わるのではなく、唱題の功徳と歓喜をもって、僧俗一致・異体同心して全員が折伏に立ち上がり、打って出ることが肝要であります。
 そもそも信心とは理屈ではなく、実践であります。折伏も同様であり、折伏は折伏を実践しなければ折伏したことにはなりません。
 大聖人は『三大秘法抄』に、
「題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり」(御書一五九四n)
と仰せであります。
 すなわち、ここで仰せの「理行の題目」とは、正像過時の題目にして「自行の為にして広く化他の為に説かず」と仰せのように、自行化他にわたる信心ではなく、化他行たる折伏を忘れた信心であり、自分自身の利益のみを求めた利己的な信心であって、末法の今、大聖人の御正意にかなう信心とは言えません。
 大聖人は『持妙法華問答抄』に、
「願はくは『現世安穏後生善処』の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後世の弄引なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(同 三〇〇n)
と仰せであります。
 まさしく「南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」との御教示を一人ひとりが心肝に染め、妙法広布に我が身を捧げ、一天広布を目指して折伏を行じていくところに、自他共の真の幸せを築くことができるのであります。
 されば『聖愚問答抄』には、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらは威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(同 四〇三n)
と、権実雑乱し、混沌とした末法今時における弘通の方途は摂受ではなく、折伏であると仰せられているのであります。
 故に『如説修行抄』には、
「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひなし。」(同 六七三n)
と仰せられているのであります。
 まさしく、五濁乱漫とした末法の今、不幸の根源たる邪義邪宗が蟠踞し、ために世の中がコロナ禍や異常気象によって騒然としている時、私どもは一人ひとりが大御本尊様への絶対の確信を持って「誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」との御聖訓のままに、勇猛果敢に折伏に打って出なければなりません。
 『曽谷殿御返事』には、
「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云はく『諸の悪人と倶に地獄に堕ちん』云云。謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(同一〇四〇n)
と仰せであります。
 私どもは改めて「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし」との御制誡を拝し、講中一結・異体同心して、いかなる困難・障害が立ちはだかろうが、断固たる決意と確信と勇気を持って折伏に励み、妙法広布へ向けて、ますます御精進されますよう心より念じ、本日の挨拶といたします。