御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
広布唱題会の砌
(令和2年1月1日 於総本山客殿)

 宗旨建立七百六十八年、あけましておめでとうございます。
 皆様には、すがすがしく「御命題達成の年」を迎え、決意も新たに、いよいよの御精進をお誓いのことと存じます。
 既に皆様も御承知の通り、今、宗門はいよいよ一年余に迫った宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢の構築へ向けて、僧俗一致・異体同心の団結をもって、力強く前進をしております。
 私どもが御宝前に固く誓った法華講員八十万人体勢の構築は、全国すべての支部が一支部も漏れることなく、誓願を達成していくところに大事な意義が存していることを知らなければなり
ません。
 そのためには、私ども一人ひとりが断固たる決意をもって、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、敢然として一歩も退くことなく、妙法広布に我が身を捧げ、もって不幸の根源たる謗法を破折し、破邪顕正の折伏を行じていくことが肝要であります。
 されば、大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をしりながら奏しもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて還ってとがに行なはれんが如し、当世の人々は謗法の者としろしめすべし」(御書 三二二n)
と仰せであります。
 この御文中「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」との仰せを拝する時、私どもの信心にとって文字通り、いかなる大善を作るよりも、法華経を千万部書写するよりも、一念三千の観道を得たるよりも、一切衆生救済の慈悲行たる折伏を行ずることがいかに大事であるかを、よくよく知らなければなりません。
 まさしく、邪義邪宗の謗法の害毒によって、塗炭の苦しみに喘ぐ多くの人々を救済する最善の方途こそ折伏であります。その折伏をもって一人でも多くの人々を末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の教えに帰依せしめる以外には、真の幸せを招来することはできないのであります。
 また、大聖人様は『教行証御書』に、
「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況んや其の以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて、民とも下し鬼畜なんどと下しても、其の過ち有らんやと意得て宗論すべし。」(同一一〇九n)
と仰せであります。
 私どもは、この御金言を拝し、一切衆生救済の慈悲行たる折伏を行ずるに当たっては、けっして臆病であってはならず、大御本尊様への絶対の確信と「一心欲見仏不自惜身命」の何ものをも恐れない断固たる決意と勇気を持って折伏に当たることが、最も肝要なのであります。
 されば、大聖人様は『四条金吾殿御返事』に、
「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし。「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず。兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり。ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶ふべからず候。」(同一四〇七n)
と仰せられているのであります。
 「諸余怨敵皆悉摧滅」とは、法華経薬王品の御文で、
「諸余の怨敵皆悉く摧滅せり」(法華経 五三八n)
と読みます。すなわち、妙法を受持する功徳によって成仏を妨げるあらゆる魔を打ち払うことができるとの意であります。
 されば、私どもは一人ひとりが大御本尊様の広大無辺なる功徳を固く信じ、一人でも多くの人に向かってその功徳を説き、折伏を行じていくことが、今、最も大事であることを知り、講中一結・異体同心して折伏に立ち上がり、もって本年度はすべての支部が必ず折伏誓願を達成されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。