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御法主上人猊下お言葉 |
元旦勤行の砌 (令和2年1月1日 於総本山客殿) 新年あけましておめでとうございます。 立宗七百六十八年の新年を迎え、宗内僧俗御一同には決意も新たに、いよいよの御精進をお誓いのことと存じます。 昨年、宗門は、二十七年の長きにわたり一宗を御統率あそばされ、親しく御教導を賜りました日顕上人の御遷化に遭い、深い悲しみにくれましたが、我ら一同、改めて宗門激動のなか、数々の御指南を賜りました広大なる御恩徳に対し、衷心より拝謝申し上げ、御報恩謝徳申し上げるものであります。 さて、本年は「御命題達成の年」であります。 かねて、私どもが仏祖三宝尊の御宝前に固くお誓い申し上げた、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢の構築まで、いよいよ残り一年余。本年は御命題達成の総仕上げとなる年であり、たとえいかなる障魔が行く手を阻もうが一支部も残すことなく、全支部が必ず折伏誓願を達成すべき、まことに大事な年であります。 特に今、末法濁悪の世相そのままに、謗法の害毒によって多くの人々が苦悩に喘ぎ、解決の途を知るよしもなく、もがき、混迷を極め、混沌とした様相を見る時、私どもは総力を結集して、一人でも多くの人に一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を下種し、折伏を行じ、救っていかなければなりません。 大聖人様は『如説修行抄』に、 「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひなし。」(御書六七三n) と仰せであります。 この御文を拝する時、私どもは一人ひとりが大聖人の弟子檀那としての自覚と決意を持って、来たるべき令和三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の誓原達成を期して立ち上がり、断固として不幸の根源たる邪義邪宗の謗法を対治し、もって法華講員八十万人体勢の構築を実現しなければなりません。 もちろん、私どもが誓願達成の戦いに挑んでいけば、あらゆる障魔が競い起こり、行く手を阻もうとすることは必定であります。しかしながら、たとえいかなる障魔が行く手を阻もうが、 「魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏るべからず。之に随へば将に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ」等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ。」(同九八六n) との御金言を拝し、たとえ三障四魔が紛然として競い起きようが、我らは一支部も残すことなく、全支部が御宝前にお誓いした折伏誓願を必ず達成すべく立ち上がり、勇猛果敢に折伏を行じていくことが、今、我らに課せられた最も大事な使命であることを自覚し、行動を起こしていくことが肝要であります。 『法華初心成仏抄』には、 「仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台・妙楽も此の心を以て、強ひて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬へば人の地に依りて倒れたる者の、返って地をおさへて起つが如し。地獄には堕つれども、疾く浮かんで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて、地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強ひて説ききかすべし。」(同 一三一六n) と仰せであります。 すなわち、大聖人様の仏法は順逆二縁共に救っていく教えであります。されば、この広大無辺なる御仏智を拝する時、私どもはたとえ相手が逆縁の衆生であっても、根気よく法を説き、折伏をすることが大事なのであります。 世間では「縁なき衆生は度し難し」と言いますが、逆説的に言えば「縁を結べば度し易し」でありますから、折伏は根気よく、仏縁を結ぶことが大事でありまして、誠心誠意、心を込めて、根気よく妙法の広大無辺なる功徳を説き、慈悲の心をもって折伏を続けていけば、相手はやがて入信に至ることができるのであります。要するに、折伏は根気よく続けていくことが肝要なのであります。 なかんずく、今、宗門はいよいよ明年に迫った宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向けて、全国のすべての支部が御宝前に誓った折伏誓願を達成すべく、力強く前進しております。 されば、私どもは一支部も漏れることなく折伏誓願を達成し、もって晴れて宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年をお迎えされますよう心から念じ、新年の挨拶といたします。 |