御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
12月度 広布唱題会
(令和元年12月1日 於総本山客殿)

 本日は、本年度最後の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年「勇躍前進の年」も、いよいよ残り一月となり、皆様には本年度の折伏誓願達成のため、さらには来たるべき令和三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年をお迎えするに当たり、全支部が御宝前に誓った折伏誓願を達成すべく、講中一結・異体同心して、昼夜を分かたず御奮闘のことと存じます。
 申すまでもなく、法華講員八十万人体勢の構築は、私どもが御宝前に固く誓った目標であり、全国すべての支部が一支部も残すことなく、なんとしてでも達成しなければならない、今、最も大事な目標であります。
 そのためには、私ども一人ひとりが、改めて御本仏宗祖日蓮大聖人の弟子檀那としての自覚と誇りと、いかなる障魔も恐れない断固たる決意をもって真剣に唱題に励み、その功徳と歓書をもって立ち上がり、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、講中の総力を結集して、破邪顕正の折伏を行じていくことが肝要であります。
 大聖人様は『聖愚問答抄』に、
抑仏法を弘通し群生を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。所以は時に正像末あり、法には大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時折伏を行ずるも非なり。折伏の時摂受を行ずるも失なり。然るに今の世は摂受の時か折伏の時か先づ是を知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法邪師一人もなしといはん、此の時は山林に交はりて観法を修し、五種六種乃至十種等を行ずべきなり。折伏の時はかくの如くならず、経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ誉れを擅にし、邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に違はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし。」(御書 四〇二n)
と仰せであります。
 まさしく、摂受・折伏とあるなか、像法過時の如き摂受ではなくして、末法は折伏をもって正規とします。されば、御文には「邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり。此の旨を知らずして摂折途に達はゞ得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明なり。是仏法修行の大事なるべし」と仰せられ、末法の仏道修行にとって、いかに折伏が大事であるかを御教示あそばされているのであります。
 よって『南条兵衛七郎殿御書』には、
 「信心ふかき者も法華経のかたきをばせめず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」(同 三二二n)
と仰せられているのであります。
 すなわち、どのような大善を作り、法華経を千万部も書写し、一念三千の深遠なる御法門を会得した人であったとしても、法華経の敵を責めなければ、すなわち折伏をしなければ、得道、つまり成仏することはできないと厳しく御教示あそばされているのであります。
 まさにこの御文は、いかに自分では信心強盛で、仏道修行に励み、教学にも精通し、深く仏法を極めていると思っていても、所詮、正法正義を誹謗する邪義邪宗の謗法をそのままにしておいて、破折し、折伏をしなければ、成仏はできないと仰せられているのであります。まことにこの御金言は重く、私どもはこのお言葉を全身全霊で受け止め、深く心に刻みつけて、けっして忘れてはなりません。
 されば、続いて、
「朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をしりながら奏しもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて還ってとがに行なはれんが如し」(同 三二三n)
と仰せられ、朝廷に仕える人が、十年、二十年と長年にわたって奉公に励んでも、主君の敵を知りながら上に報告もせず、己れ自身もその敵を責めなければ、長年にわたる奉公の功績も皆、消えてしまい、かえって罪に問われるようなものであると仰せられているのであります。
 したがって、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人の弟子檀那であれば、謗法の害毒によって苦しんでいる人達を見て、折伏もせず、謗法を責めようともしなければ、大聖人様の御本意に違うことになり、正しい信心の実践とはならないのであります。大聖人様の教えのままに、正しい信心の道に連なってこそ、一生成仏も初めてかなうのであります。
 大聖人様は『唱法華題目抄』に、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて喜鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(同二三一n)
と仰せであります。
 「毒鼓の縁」については、再三申し上げていることでありますが、毒薬を太鼓に塗り、大衆のなかにおいてこれを打てば、聞こうとする心はなくても、これを聞けば皆、死んでしまうように、法を聞こうとせず信じようとしなくとも、やがて煩悩を断じて得道できることを、毒を塗った太鼓を打つことに譬えているのであります。
 すなわち、一切衆生には皆、本来的に仏性が具わっております。正しい教えを聞き、その縁に触れ、発心・修行することによって、仏性が仏性としての用きを示し、成仏することができるのでありますから、順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であったとしても、三大秘法の南無妙法蓮華経を聞かせることによって正法と縁を結ばせ、将来、必ず救済することができるのであります。
 されば、私どもは一人ひとりがこの御金言を拝し、大聖人御聖誕八百年をいよいよ明後年に迎えた今、いかに折伏が大事であるかを銘記され、講中の一人ひとりが、断固たる決意をもって大折伏戦を展開し、もって全支部が必ず折伏誓願を達成され、晴れて御聖誕八百年の大慶事を迎えられますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。