御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
9月度 広布唱題会
(令和元年9月1日 於総本山客殿)

 本日は、九月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年「勇躍前進の年」も、いよいよ九月に入り、残りあと四カ月となりましたが、皆様には本年度の折伏誓願達成のため、さらにまた来たるべき令和三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の実現へ向かって、寸暇を惜しんで折伏に励み、御奮闘のことと存じます。
 さて、大聖人様は、
「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつへ、懐に薬を持ちても飲まん事を知らずして死するが如し」(御書 二〇n)
と仰せであります。
 この御文にお示しの如く、信心とは理屈や理論ではなく、実践行であります。私どもの成仏も、信心という実践、体験、行動を通して、初めて我がものとなるのであり、机上の空論では我々は成仏しないのであります。
 されば『土篭御書』には、
「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことばばかりはよめども心はよまず、心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ」(同 四八三n)
と仰せであります。
 したがって、この御金言も心では解っていても、実際に自ら実践し、体験しなければ全く意味がありません。広大無辺なる御本尊の功徳も、我がものとはならないのであります。まさしく、折伏もまた同様であります。
 大聖人様は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をしりながら奏しもせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて還ってとがに行なはれんが如し」(同 三二二n)
と仰せであ。ます。
 この御文中「法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」とのお言葉を、よくよく拝さなければなりません。
 特に、昨今の混沌とした国内外の情勢を見る時、私どもはなんとしてでも『立正安国論』の御理想実現のため、全支部が全魂を傾けて、勇猛果敢に折伏を実践していかなければなりません。
 大聖人様は『諸経と法華経と難易の事』に、
「仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(同一四六九n)
と仰せであります。
 天変地夭も、悲惨な事件や事故も、戦争や飢餓も、混迷する政治や経済も、その混乱と破壊の根本原因は一にかかって、思想の乱れ、信仰の乱れ、すなわち正法を信ぜず悪法を信じているからであります。
 故に大聖人様は、
「早く天下の静謐を思はゝ須く国中の謗法を断つべし」(同 二四七n)
と厳しく仰せられているのであります。
 私どもはこの御金言を拝し、謗法の害毒によって不幸に喘ぐ多くの人々を救い、世の中を救い、国を救い、世界を救っていくのが、地涌の菩薩の眷属たる私どもの大事な責務であると知り、宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の誓願を達成すべく、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、折伏に打って出ることが最も肝要であります。それが今、私ども本宗僧俗に与えられた尊い使命であることを知らなければなりません。
 大聖人様は『聖愚問答抄』に、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」(同 四〇三n)
と仰せであります。
 私どもは一人ひとりがこの御金言を拝し、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに懸命に折伏を行じ、なんとしてでも法華講員八十万人体勢構築の誓願を達成すべく、本年残り四カ月を悔いなく戦いきり、すべての支部が折伏誓願を必ず達成されますよう心からお祈りし、本日の挨拶といたします。