御法主日如上人御指南 
御法主上人猊下お言葉
唱題行(7月31日)の砌
(令和元年7月31日 於総本山客殿)

 今月一日から行ってまいりました七月度の唱題行も、本日をもって終了いたします。これまで参加された皆様には、たいへん御苦労さまでございました。
 皆様にはこれからも、それぞれの所属寺院において行われる唱題行に進んで参加されますよう、お願いいたします。また、各家庭においても唱題行を続けられ、さらにその功徳と歓喜をもって折伏に励み、令和三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築の目標達成へ向けて精進し、一人ひとりが大きな功徳を積んでいただきたいと患います。
 さて『佐渡御書』を拝しますと、
「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず、正法を惜しむ心の強盛なるべし。おごる者は必ず強敵に値ひておそるゝ心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈にせめられて、無熱地の蓮の中に小身と成りて隠れしが如し。正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶ふべからず」〔御書 五七九n)
と仰せであります。
 すなわち「何ものにも恐れない師子王の如き強い決意をもって、妙法広布へ挺身する者は、いかなる強敵が行く手を阻もうが、必ず仏果を得ることができるのである。反対に、驕れる者は強敵に値うと必ず恐怖の心が生まれてくるものである。例えば修羅は自らの力に驕っていたが、帝駅に攻められて無熱池の蓮の中に小さくなって隠れたようなものである。正法はたとえ一字一句であったとしても、時と機根に適うならば必ず成仏することができる。たとえ千経、万論、つまり多くの経典ならびに多くの論述をいかに習学しても、時と機根に相達するならば、成仏することはできない」と仰せられているのであります。
 まさしくこの御文は、末法適時の妙法蓮華経の功徳広大なることを、かくの如く仰せあそばされているのであります。
 反対に、像法過時の爾前迹門の諸法は、末法本未有善の衆生のための要法とはならず、たとえ千経、万論を習学しても成仏することはできないと仰せられているのであります。
 されば今日、私達は宿縁深厚の至らしむるところ、値い難き末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様の仏法に値い奉り、今また、明後年には大聖人御聖誕八百年の大佳節をお迎えできることは、無上の喜びであります。
 しからば、いかにその慶事をお迎えするかは、ひとえに我らの折伏誓願達成の戦いのいかんに懸かっていることを、それぞれがしっかり自覚し、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、全国の講中が一支部も漏れることなく、大折伏戦を展開し、もって御宝前にお誓い申し上げた折伏誓願の達成をもって、御聖誕八百年の慶事をお迎え申し上げることが肝要であります。
 どうぞ皆様には、このことを肝に銘じ、いよいよ異体同心・一致団結して、誓願達成へ向けて力強く前進されますよう心より願い、本日の挨拶といたします。