大 白 法平成30年6月16日付
  
          総本山第8世 日影上人の御事蹟
 
 第600回遠忌を迎えるに当たって
 
  日影上人の略歴

 日影上人の御事蹟は、総本山第十七世日精上人が著された『家中跡』の「日影伝」や、第三十一世日因上人の『有師物語聴聞抄佳駅』等に概略が紹介されています。
 日影上人は、正平七(文和元・一三五二)年十一月七日、下野国平井薗部(栃木市薗部町)に出生されました。俗姓は南条で、総本山大石寺の開基檀那・南条時光殿の家系であることが判ります。後に「民部阿闍梨」と号されました。
 日影上人の出家得度の年時は明らかではありませんが、総本山大石寺に登られ、第六世日時上人に随順して御法門を修習され、当家甚深の法門に精通されました。また道心堅固にして、昼夜の読経・題目を常に唱え、信行を増進されました。
 後に武蔵国仙波檀林(埼玉県川越市)において天台の教学を学び、その後、出身地である下野国平井薗部の地に弘通されました。
 応永九(一四〇二)年四月十一日、日影上人は日時上人より御書の肝要を相伝されています。
 同十一年五月一日、日影上人は日時上人より法の内付を受けられ、御本尊を授与されています。
その脇書には、
「応永十一年甲申五月一日、大石寺住侶民部阿闍梨日影に之を授与す」
と認められています。
 同十三年六月四日、日時上人が御遷化されたため、日時上人よりかねて血脈を相承されていた日阿上人が、総本山第七世の御法主上人として法灯を継がれました。
 そして、九カ月後の応永十四年三月十日、日阿上人が御遷化されたことに伴い、日影上人は総本山第八世の御法主上人となられました。
 日影上人は御在職中、讃岐(香川県)の本門寺兵部阿闍梨日勢師、下野国平井(栃木市平井町)信行寺の少輔阿闍梨日経師、奥州柳目(宮城県栗原市一迫柳目)妙教寺の常陸公、大石寺の信徒で伊豆国三島在住の妙恵等へ御本尊を授与されており、各地における教化弘通に尽力されていたことが伺えます。
 応永二十六年八月四日、日影上人は親しく薫陶されてきたお弟子の日有上人に法を付嘱され、六十七歳をもって安祥として御遷化されました。